サッカー岡田ジャパンが本格始動
(朝日、読売、毎日新聞1月16日)
2008年01月15日サッカー日本代表候補の合宿が鹿児島県指宿市内で始まりました。
ワールドカップアジア予選に向けての実戦練習で岡田監督体制が本格のスタートなりました。
岡田監督の新体制で初の長期合宿は、2010年ワールドカップアジア予選の初戦となる、2月6日の3次予選タイ戦(埼玉)に向けての準備が始まったことになります。
この日、岡田武史監督が招集した33選手のうち、集合したのは計31選手でした。
欧州クラブへの移籍を目指しているMF長谷部(浦和)とMF本田(名古屋)は、練習参加などのため不参加になりました。
オフ明け合宿の初日にもかかわらず、早速ハーフコートでの10対10などのメニューに約2時間、汗を流しました。
しかし、ドイツ1部リーグ・フランクフルトからJ1浦和に移籍が決まり、帰国したばかりのFW高原を含め、さすがに軽快にボールをさばけない選手もおりました。
岡田監督は途中で軽めのメニューに変更する一方で、一部はランニングに切り替えさせて様子を見守りました。
岡田監督は「狭い地域でも人数をかけて抜いていく」という攻撃戦術を掲げ、タイ戦前の強化試合となる26日のチリ戦、30日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦に向けて、コンディションを上げるためのメニューを盛り込む余裕はないとして、実戦練習を中心に急ピッチでチーム作りを進める意向を示したようです。
球を使った最初の練習は、攻撃5人対守備4人の球の奪い合い。
オシム前日本代表監督の考えるタッチ数の少ないパス回しを求めているのは似ていますが、それでも細部には岡田監督色は滲じんでいます。
「1人しかサポートに入っていない。動きが重なってもいいから2、3人と入れ」と岡田監督から頻繁に指示が飛んだようです。
球を取り合う選手の輪が、どんどん小さくなっていくのに、岡田監督の意向がでています。
ピッチ半面を使った紅白戦でも、大人数で球に働きかける点が強調されました。
オシム前監督のサッカーに精通するMF羽生は、「パス速度を上げて局面に人を費やす」オシム前体制と岡田監督体制の違いについて言っています。
岡田監督は合宿のテーマの一つに「コンセプトの統一」を挙げています。
中身の説明は拒んでいて明らかではないですが、「日本人は『コチョコチョ球に寄りすぎ』と評される。欧州や南米の常識では日本のサッカーはそうかもしれないが、これを逆に強みにできないか」と以前に話していました。
いよいよ世界に挑むための岡田監督の試行錯誤が始まったと朝日新聞は伝えています。
常識を超える岡田監督の成果を期待したいです。
岡田監督が合宿の目的の一つとしているのが、23人となるタイ戦のメンバー選考。
MF山岸(千葉)が「コーチも多くいたし、見られていると感じた。23人に残れるよう頑張りたい」と口にしたように、選手の間には、早くも張りつめた空気が漂っていたようです。
1月7日、日本サッカー協会は各世代の代表監督が一堂に会するナショナルコーチ会議を東京都内で開いた。昨年10月以来4回目の開催。
岡田武史監督が日本代表監督に就任してからは初めての出席。
オシム前監督が提唱した「日本人が持つ良さを引き出し、世界と対抗する」という基本的な考えを引き継ぐことが確認されたようです。
岡田監督は「昔の言葉だけど、まだ今も生きている。一発で流れを変えるようなプレーでは世界にかなわなくても、相手が音を上げるようなDFを何回も続けることはできる」と強調したといいます。
この言葉は、ラグビーの名指導者で日本代表や早大の監督などを務めた故大西鐡之祐氏が世界との体格差を埋めるために提唱した「展開・接近・連続」の理論を引用しています。
岡田武史の日本代表選手時代
日本代表監督に就任した岡田武史監督ですが、現役時代も日本代表としてプレーしたことがあるのです。
岡田武史監督は現在のJ1ジェフユナイテッド千葉の前身となる古川電気工業でプレーしていました。
そして1982年のインドのニューデリーでのアジア大会の日本代表メンバーでした。
しかし、最初に発表された代表メンバーには岡田監督は選抜されませんでした。
しかし、当時、代表のキャプテンを務めていた前田秀樹さんが負傷して、アジア大会の参加を辞退しました。
これを受けて岡田監督が追加招集されたのです。
そして背番号は前田監督がつけていた9をそのまま背負うこととなりました。
日本は1次リーグでは韓国、イランというアジアの強豪国のいる厳しいグループに組み分けられました。
しかし、初戦のイラン戦では攻め手がほとんどといっていいほどなかったにも関わらず、終盤の木村和司さんによるゴールで1−0で勝利をおさめます。
ただ、このイラン戦での岡田監督の出番はありませんでした。
最終戦の韓国戦の試合前の段階で、日本が2勝で首位、韓国が1勝1敗の戦績でした。若し日本が韓国に負ければ得失点差により、日本が自力で1次リーグを突破出来ない状況で1次リーグを突破を確保するためには引分け以上が必要でした。
その大詰めの大事な韓国戦で、日本はFWの尾崎加寿夫さんに代えて、守備的な中盤の選手として岡田監督をアジア大会で初起用しました。
日本は前半に1失点を喫するも、後半13分に岡田監督のクロスを原博実さんが合わせて、1−1の同点とします。
後半30分を経過し、勝つこと以外には1次リーグの突破の目がない韓国にたびたび攻め込まれますが、日本は辛抱強く守りました。
そして、一瞬のカウンターから風間八宏さんが左サイドのゴールライン際からグラウンダーのボールを蹴り、そこに攻め上がった岡田監督のダイレクトシュートで逆転に成功しました。
結局そのまま2−1で逃げ切り、日本は首位で1次リーグ突破を決めました。
岡田監督は守備を期待されての起用とはいえ、2ゴールに絡む活躍して、日本の1次リーグ突破に大いに貢献したのです。
岡田武史監督は現在のJ1ジェフユナイテッド千葉の前身となる古川電気工業でプレーしていました。
そして1982年のインドのニューデリーでのアジア大会の日本代表メンバーでした。
しかし、最初に発表された代表メンバーには岡田監督は選抜されませんでした。
しかし、当時、代表のキャプテンを務めていた前田秀樹さんが負傷して、アジア大会の参加を辞退しました。
これを受けて岡田監督が追加招集されたのです。
そして背番号は前田監督がつけていた9をそのまま背負うこととなりました。
日本は1次リーグでは韓国、イランというアジアの強豪国のいる厳しいグループに組み分けられました。
しかし、初戦のイラン戦では攻め手がほとんどといっていいほどなかったにも関わらず、終盤の木村和司さんによるゴールで1−0で勝利をおさめます。
ただ、このイラン戦での岡田監督の出番はありませんでした。
最終戦の韓国戦の試合前の段階で、日本が2勝で首位、韓国が1勝1敗の戦績でした。若し日本が韓国に負ければ得失点差により、日本が自力で1次リーグを突破出来ない状況で1次リーグを突破を確保するためには引分け以上が必要でした。
その大詰めの大事な韓国戦で、日本はFWの尾崎加寿夫さんに代えて、守備的な中盤の選手として岡田監督をアジア大会で初起用しました。
日本は前半に1失点を喫するも、後半13分に岡田監督のクロスを原博実さんが合わせて、1−1の同点とします。
後半30分を経過し、勝つこと以外には1次リーグの突破の目がない韓国にたびたび攻め込まれますが、日本は辛抱強く守りました。
そして、一瞬のカウンターから風間八宏さんが左サイドのゴールライン際からグラウンダーのボールを蹴り、そこに攻め上がった岡田監督のダイレクトシュートで逆転に成功しました。
結局そのまま2−1で逃げ切り、日本は首位で1次リーグ突破を決めました。
岡田監督は守備を期待されての起用とはいえ、2ゴールに絡む活躍して、日本の1次リーグ突破に大いに貢献したのです。


